シンパシー

「またフラれたの! 今年度に入ってもう3人目! 切な過ぎるよう、なぐさめて智ちゃん!」
 そう言って真夜中に押しかけた私を、幼馴染の智ちゃんはしょうがないな、というような顔をしながらも、部屋に入れてくれた。
 そうしてあったかいココアを出してくれて、事情も話さずに泣きじゃくる私のそばにずっとついていてくれた。
 2時間くらい泣いて落ち着いた私は、すっかり温くなったカップを両手で包むように持ちながら、黙って智ちゃんと見つめあっていた。
 彼氏にフラれて大ショックな私が智ちゃんのところを訪ねるのは、もう、朝になると太陽が昇るのと同じくらいよくあることだ。でも、まだ5月も半ばだっていうのに、3人目ともなると、ちょっとだけバツが悪い。
 智ちゃんは私のそんな心情を察しているのか、なにも言わない。お互い3歳の頃から、もう17年のつきあいになる智ちゃんは、今ではどうやら私よりも私のことをよくわかってくれているらしい。いつだって泣きたくなるくらいに優しくて、だから私はこうやってバツの悪い思いをしなくちゃならないってことをわかっていながら、毎度毎度、智ちゃんのところに来てしまうのだ。
「……ごめんね、寝てたでしょ」
 思い切って言うと、智ちゃんは吹き出す。そのまま笑い転げる智ちゃんになんだか腹が立って、私は思わず手近にあったクッションを投げつけてしまった。
「悪い、悪い」
 と、智ちゃんはちっとも悪く思っていなさそうな顔で言う。私はふくれて智ちゃんを見つめた。
「いやさ、だって真奈がオレのこと考えないのなんていつものことだろ? 前なんか朝4時に来たじゃん。それに比べたら10時なんてまだ甘いって」
「そうかなあ」
「そうそう。絶対、そう。だから、あんまり気にするなよ」
 そうして、智ちゃんは私の頭をくしゃくしゃとなでてくれる。
 せっかくきれいに整えてる髪の毛がほつれちゃうから、髪を触られるのは好きじゃないけど、智ちゃんに頭をなでられるのは好きだなあと思う。
 私が目を細めると、智ちゃんも嬉しそうに目を細めた。
「それで、今回はなんでフラれたんだ?」
 優しく智ちゃんが訊ねてくれる。そうしたら、やっぱり保くんのことを思い出してしまって、じんわりと涙がにじんだ。
 保くん、というのは、私がさっきフラれたばっかりのモトカレだ。
 ノンフレームのめがねのよく似合う、マジメそうな外見の、そして実際にマジメな男の子。大学で学科が同じで、たまたま講義のときに隣の席になって、プリントを見せてもらったのが縁でつきあいはじめた。
 告白してきたのは保くんから。
 私は別に保くんは嫌いじゃなくて、一緒にいて楽しいかなあと思っていたから、あんまり深く考えずにOKした。
 そうして、たまに電話したり、メールしたり、一緒に映画に行ったりして、つきあいはじめてから一週間たって、はじめて家に遊びに行ったあと、帰り際に、急に保くんは悲しそうに言ったのだ。
 別れよう、と。
 なんでたった一週間で、しかもはじめて遊びに来た日に、と思って私は混乱してしまった。
 理由を聞きたかったけど、聞くのが怖くて保くんには聞けなくて、しかも保くんは泣きそうな顔でドアを閉めてしまって、だからどうしようもなくなった私は、歩いて智ちゃんのアパートまでやってきてしまった。
 電車に乗ればよかったのだけれど、私にはそんな正常な思考はなかった。
 徒歩で2時間かかる距離を歩いている間、涙なんか出てこなかった。けれども、智ちゃんのアパートに着いた瞬間、ぶわっと涙があふれてとまらなかった。そうして2時間泣きじゃくって、そうして、今に至る。というわけだ。
 そんな事情を、つっかえつっかえ、行きつ戻りつ説明し終えると、智ちゃんは大きなため息をつく。
「それ、お前、いつものパターンじゃん」
「……うん」
 自分でも、わかっている。
 そう、これはいつもの私のパターンなのだ。
 私が誰かとつきあうときは、いつだって、相手からアプローチしてくる。
 私は相手が嫌いじゃなかったら、だいたいOKする。
 でも、すぐに、相手のほうから捨てられる。この繰り返し。
 こんなのヘンだと自分でも思うけれど、なぜかいつもそうなんだからしょうがない。やめようにも原因がわからないのだ。やめようがない。
「でもさ、その保くん? ってあんまり好きってわけでもなかったんだろ。つきあって、って言われたからOKしただけなんだろ? なのに、なんでそんなにショック受けるんだよ」
「わかんないよ、そんなの」
 私が答えると、智ちゃんはまたため息をつく。
 でも本当にわからないのだから、しょうがない。
 私は本当に本当に、誰かに見捨てられるのがダメだ。
 相手のことを好きだったりするとそれはもうものすごいショックで、普通かな、くらいの相手でもすごいショックだ。嫌いな相手だったりしてもちょっとショックなくらいなのだ。
 誰かに見捨てられるとき、っていうのは、なぜだか胸がきゅうっとする。
 息ができないような気分になる。
 まるで空気が私を嫌って逃げていってしまうみたいに、息が苦しくてどうしようもなくて、たまらなくなる。
 そんな状態の私を助けてくれるのは智ちゃんだけだ。智ちゃんがぎゅうっとしてくれると、私はちょっとだけ、空気に嫌われずにすむような気がする。
「まあ、ダメなものはしょうがないんだけどなあ……。お前も、色々大変なやつだよな」
 しみじみとした調子で智ちゃんが言う。
「うん、そうなの、大変なの」
 私は答える。
「どうして、私、智ちゃんのこと、好きになれないんだろう」
「……なんだよ、嫌いだったのかよ」
「そうじゃなくって、智ちゃんにフォーリンラブできたらきっと幸せだろうと思うのよう」
「また、古い言い方を」
「まぜっかえさないでってば」
 私がふくれると、智ちゃんは困ったように笑う。
 この笑顔は好き。大好き。
 でも私の気持ちが恋じゃないのは、いったいどういうことなんだろう。
 それとも私が気づいていないだけで、智ちゃんのこと、本当は好きなんだろうか。そういう、彼氏とか彼女とか、そういう対象として。
「ねえ智ちゃん、してみよう」
「へ? なにを」
「寝ようって言ってるの。ねえ、だめ? 智ちゃん」
「とりあえず、落ち着け。まずは深呼吸だ」
 智ちゃんが私のおでこに手を当てながら言う。
 私はぶんぶんと首を振った。
 違うのだ。別に熱があるわけでもなんでもない。
 ただ、そうしたらわかるかなあ、と漠然と思ってしまったんだもの。そうしたら試したくなるのが人情というもの、だと思う。
「私は落ち着いてるよう」
「嘘だ。落ち着いているやつは幼馴染に向かって寝ようとか言わない。しかも女から」
「智ちゃん古いんだよ、きっと」
「オレはそんな新しさはいらん!」
「それはどうでもいいよ。それで、ねえ、いいの、だめなの?」
「いや、だから……」
 あんまりにも智ちゃんがまだるっこしいから、私は体重をかけて智ちゃんを押し倒した。智ちゃんは床に頭をぶつけて、ギャッ、と悲鳴をあげる。
「わかった、もう聞かない!」
 本当にイヤだったらいくらこっちがその気だってできっこないのだ。
 智ちゃんは抵抗するけれど、それは本気の抵抗っていうよりか、どこか遠慮がちな抵抗で、それくらいだったら私にだって楽に押さえられた。
 そうして脱がせてみたら、やっぱり智ちゃんも男なんだなあ、と今さらながらに感心した。智ちゃんの裸を見たのなんて、もう10年近く前の話。私の中ではまだ、智ちゃんは細くて頼りない男の子のイメージが強かったのに、実際に見てみたら、当然、普通に育っている。
 智ちゃん大きくなったのねえ、としみじみつぶやいたら、下品なことを言うなと赤面されて、そういう風に受け取って赤面する智ちゃんが下品なんだよとちょっと思った。



「……お前、うちは禁煙だぞ」
 すっかりぐったりしている智ちゃんが、小さな声で抗議する。
 家主が言うんじゃしょうがないから、私は携帯灰皿に押しつけて火を消した。
「ごめんねー智ちゃん。お疲れ」
「お疲れじゃないだろ。なにがしたかったんだよ、お前」
「なにって。わかってよ智ちゃん。察しようよ」
「オレにシックスセンスを求めるな」
「うーん、そこまで難しいことでもないんだけど。なんていうのかな、ほら、私、智ちゃんのこと好きだけど、これってどんな好きなんだろーって思って、そしたら、きっと寝てみたらわかるよねって思ったのよ」
「なんだよそりゃ」
 智ちゃんはさらに疲れたらしく、だらんと垂れた。
「わかってよ智ちゃん。そこは気合でカバーして」
「気合でって……限度があるだろ。それにさお前、普通、断るだろ? 同意得るだろ?」
「イヤだったら無理だろうし大丈夫ねって思ったの」
「そういう問題じゃないだろ」
「でもさ、ほら、これ、女の子相手だったら問題でしょ。でも私が女の子で智ちゃん男の子だから平気かなあって」
「知ってるか、最近は男を触っても痴漢なんだぞ」
「そうなの? じゃあ智ちゃん、私のこと訴える?」
 訴えられるのはイヤだなあ、と思って智ちゃんを見つめていると、智ちゃんは大きくため息をつく。
「訴えないけどさあ……。お前、他のやつにもそういうことやってないだろうな?」
「してないよー。大丈夫。あ、もしかして智ちゃん、病気の心配してるのね? それだったら私ナマとかそういうのはね……」
「そういうことじゃない」
 智ちゃんが私の言葉をさえぎって言った。
「やるなよ、あんまり。ていうか絶対」
「わかってるってば。智ちゃん以外にやらないよ」
「……。まあ、いいや。それで、どうなんだ? わかったのか?」
「うーん……あんまり。やっぱ智ちゃんは智ちゃんだね」
 好きか嫌いか、と言ったら好きだなあ、と思う。
 でも、他の人と比べてどうだろう? って思ったのだけれども、やっぱり智ちゃんは智ちゃんで、他の誰でもないよなあ、と思ったっていうだけだった。
 別になにかわかった、っていうわけでもない。ちょっと気分はすっきりしたかなあ、と思うけど、でもそれは智ちゃんのところに来るといつもだから、これのせいじゃないだろうなと思う。
「……お前ってほんと、お前だよなあ」
 うんざりしたように智ちゃんが言う。
「うんざりした? 嫌いになった?」
 私が訊ねると、智ちゃんはゆるゆる首を振った。
「17年だぞ、17年。表も裏もぜーんぶ見てきてんだ、今さらこれくらいでうんざりするかよ」
「ほんと? よかったあ。私、智ちゃんに見捨てられたら、どうしていいかわかんないよ」
 私は明るく言ったけど、なんだか胸がきゅっとするのを感じていた。
 口に出したからかもしれない。智ちゃんが私を見捨ててどこかへ行ってしまうなんてありえないのに、もしもそうなったらどうしようって、そのときのことを想像してしまう。
 もしも本当にそんなことになったら、私はどうなっちゃうんだろう。いつも私に酸素をくれてる智ちゃんがいなくなったら、私は本当に死んでしまうかもしれない。
「泣くなよ、真奈」
 気づくと智ちゃんが、私の頭をなでてくれている。
 なんだか、子供に戻ったみたいだ、と思う。
 私はもう子供じゃないのに、子供じゃいられない年なのに、智ちゃんになでられたり慰められたりしていると、いつも子供に戻ってしまうような錯覚をおぼえる。
「オレはお前を見捨てないよ。ずっとお前の智ちゃんでいてやる。だから泣くなよ」
「泣いてないよ」
「泣いてるよ。心の中で」
「どうして、そんなことわかるの」
「オレはお前の智ちゃんだろ。わかるって」
「……ごめんね、智ちゃん」
「謝るなよ」
 智ちゃんはやっぱり私をぎゅうっとしてくれて、だから私は智ちゃんの胸に顔を押しつけて声を上げて泣いた。
 ああ、どうして私は智ちゃんをそういう意味で好きになれたりしないんだろう。
 もしも智ちゃんを好きになれれば、その方がずっと楽なのに。
「ごめんね、智ちゃん。私ってダメなの、バカなのよ」
「ダメでもバカでもなんでもいいよ」
 智ちゃんは私の頭を優しくなでてくれる。
 ごめんね智ちゃん、甘えちゃって。いつも、いつも、ごめんね。
 そう思いながら私はさらに、ぎゅっと智ちゃんに抱きついた。