空にはまあるいお月さまが浮かんでいる。ああ、今日もこの日がめぐってきた!
珠華は胸をドキドキさせながら、窓を開けて家を抜け出した。
風がぬるくて、べたべたする。けれど、久しぶりの生きた風は、珠華にとってはなによりも気持ちがいい。
走り出すと、風で帽子が脱げてしまう。中から耳がこぼれ落ちる。
珠華はその異形の耳を手で押さえた。この獣の耳のせいで、こうして月の明るい夜にしか出歩けないのかと思うと忌々しかったが、どこかにぶつければ痛いということには変わりがない。
さあ、今日はどこへ行こう。気の向くままに走りつつ、珠華は心の中でつぶやいた。
夜明けまでには戻らないといけないから、それほど遠いところには行けない。せいぜい、この小さな森の端くらいまで。
ふと、そのとき、珠華の耳にかすかな音が飛び込んできた。
なにか、音楽みたいな――たのしげな音。
なんなのかしら。
珠華は音のするほうを向いた。ずいぶん遠いらしく、珠華の目にはうっそうとしげる木々しか見えない。
行ってみようか。
誘惑に駆られる。
だって、あんなに楽しそうなのだ。少し見てみたい。
でも、この耳を見られたらどうしよう。もしかしたら、化け物だと言われるかもしれない。ひどいめに遭わされるかもしれない。
でも――見つからなければ、きっと、平気だ。
珠華は駆け出した。木の陰に隠れながら、でも急いで。
しばらく走ると、先のほうが少し開けているように見えた。なにか小さなものたちが、そこでひしめきあっている。
珠華は足音をしのばせ、近づいた。
そこで動いていたのは、古びたぬいぐるみたちだった。ハモニカ、おもちゃのラッパ、まるでなべのふたのようなシンバル――そんながらくたのような楽器を抱え、てんでばらばらに鳴らしている。
ぬいぐるみたちに囲まれて、黒いでろっとした服を着た、とんがり帽子の女の子が、節くれだった古木の杖を振っている。
「魔女……?」
珠華は思わずつぶやいた。
その瞬間、彼女と目があう。
――見られた。
珠華は血が沸騰しそうな思いだった。逃げようと思うのに、足が動かない。
「誰なの」
けげんそうに目を細め、女の子が近づいてくる。珠華はとっさに、両手で獣の耳を隠した。
「獣の……耳?」
女の子が手を伸ばしてくる。叩かれる、と思って珠華はとっさに身を引いた。
けれども女の子は、珠華の耳をむんずとつかむ。
「きゃっ」
「はじめて見たわ」
少女は感嘆の声を上げる。
「あなた、人間?」
「……知らない」
本当に知らなかった。
母も父も人間だ。でもこんな耳があるのは自分だけなのだ。
外に出れば異形の娘とののしられる。化け物だと、打ち据えられる。
自分は人間ではないのかもしれない――母や他の人たちの言うように、おそろしい化け物なのかもしれない、と思う。
「そう」
けれども、女の子の返事はあっさりとしたものだった。珠華は拍子抜けしてしまう。
「ねえ、あなた、パーティに加わらない?」
「パーティ?」
その上こんな誘いまで。珠華は警戒して身を引いた。つかまれたままの耳が痛い。
「魔女のパーティよ。今日は満月だもの」
「あなた、魔女なの?」
「そうよ。あなたも人間じゃないんでしょ。だったらあたしたち、仲間だわ」
魔女と名乗った女の子は、やっと珠華の耳から手を離し、今度は手をつかんでくる。
はじめて触る他人の手は、やわらかくて暖かい。女の子はにっこりと笑う。
「あなたの名前は?」
「……珠華」
「あたしはシア」
名乗ったあとで、シアは感極まったように声を上げる。珠華はびくりとした。
「……なに?」
「はじめてなのよ。こういうの!」
ああ、そうか、と珠華は気づいた。
シアにも友達がいなかったんだ。
多分、自分たちはよく似ている。
珠華はシアの手を握った。自分と同じ、小さな手。
くだらないことなのに嬉しくて、珠華は声を上げて笑った。シアはそんな珠華を、軽く首をかしげて見つめていた。